真生窯 開窯
修行を積んだ忠夫は四十二歳で独立し、
小松市平面町に窯を構えます。
修行を積んだ忠夫は四十二歳で独立し、
小松市平面町に窯を構えます。
真生窯の誕生
当時の作風は古九谷・吉田屋の写しが中心でありましたが、次第に絵付が緻密さを増していきます。
九谷の伝統を守りながら、鴛鴦*や鶴、松竹梅などの吉祥文をメインに描き、背景を唐草や青海波などの小紋でびっしりと描き埋めるという唯一無二な作風に昇華していきました。
細密画を極める
*鴛鴦(えんおう) オシドリのつがい。「鴛」は雄の、「鴦」は雌のオシドリ。
一つ一つの作品が全て手描きで絵付され、多いものは上絵窯で10回以上焼成されます。
忠夫が生み出す作品は年間で十数点ほどで希少かつ貴重である事から、細密画の極致「幻の九谷」と言われています。


